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侏儒(しゅじゅ)どんの頓知話「飢餓を救う」

「飢餓を救う」はちょっとトンチ話の王道をゆくような「いかにも」という感じのお話ですので、ちょっと・・・と思いますが、これも侏儒(しゅじゅ)どんの伝説ということで・・・。本来の侏儒(しゅじゅ)どんはトンチのみでなく、政治の手腕もあり、人心の掌握、殿様への勇気ある進言などをするりっぱな薩摩隼人の武士でした。


日当山温泉公園前にある日当山侏儒(ひなたやましゅじゅ)どん像です。

その年は早魃や、台風のため農作物の出来は非常に悪くほとんど全滅に近い有様で、村人たちは食料に不自由して大変苦しんでおりました。日当山地方も昨年に引続いて二年越の不作で、餓え死する者の数も数えきれないほどでした。
それを憂い悲しんだ日当山の地頭侏儒どんは、或る日お城へ行き、殿様に「日当山の村人が米がなくて困っておいもんで(おりますので)、紙袋1ぱいの米をたもんせ。(くださいませ。)」と願い出ました。
それを聞いた殿様はわずか紙袋一ぱいの米を何にするのだろうと不思議に思いつつ「紙袋一ぱい位なら何時でも持ッチ行け。(持ってゆけ。)」と御許しになりました。
侏儒どんは日当山に帰ると早速住民に「殿様が米を下さったで(下さるので)、明日馬を引いて鹿児島へ行け。」との布令を出しました。そして侏儒どんは一晩中かかって大きな紙袋を作り上げました。
翌日その大きな紙袋を持ってお城の米倉に行き、いくつも並んだ米倉の一つに頭からその紙袋をすっぽりとかぶせて、倉庫の番人に「紙袋一ぱいの米を貰って行きもす。(行きます。)」と言いました。
その番人は驚いてこの事を殿様に伝えますと、殿様は「また侏儒にやられたか、仕方なか武士の約束ぢゃ、呉れてやれ」としぶしぶ承知されました。 侏儒は倉庫一ぱいの米俵を村人達の引いて来た馬に積み込んで日当山へ帰って行きました。

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